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When she was white [海外生活便り]

When she was whiteは”in the wrong place at the wrong time”に
生まれたSandra Laingを主題とした本のタイトルです。

1955年、南アフリカはアパルトヘイト政策の真っ只中、プレトリアで
Sandra Laingは誕生しました。

両親は共にNational Partyの党員でアパルトヘイト政策を支持していた
白人夫婦ですが生まれてきたSandra はなんと肌が黒くここから
一家の不幸な運命が始まります。

幼少時代は両親や兄弟の愛情に包まれてのびのび育ちますが
6歳になって白人専用の寄宿学校へ入学してから事情は変わります。
周りの人達はよそよそしく何かにつけいじめられたようです。

先生や父兄は何とかしてSandraを追い出そうと必死になります。
その策略が功を発し、10歳の時ペンシルテストに合格しなかったと
学校を追放されるのです。

ペンシルテストとは頭髪に鉛筆を差し込み落ちるかどうかで人種を決める
幼稚な手段です。

カラードと認定されたSandraは二人の警官に連行され実家に送り返されます。

”What did I do wrong?”、 彼女の悲痛な叫びが聞こえるようです。

当然納得できない両親は裁判に持ち込ちこんだのです。
その頃はDNA鑑定もない時代でしたので、実の親子と証明するるのは
並大抵ではありませんでした。

ところがある科学者?の証言により白人であるとようやく認められます。

統計によれば南アフリカの白人8~11%には黒人の血が混じっていて、
偶然にもそれが凝縮して黒い肌の子供が産れる事もあり得るとの判断です。

再び白人と認められたとはいうものの白人社会から拒まれたSandraは
黒人たちと一緒にいる方が気が楽になったようです。

15歳の時、両親の店に出入りしているスワジランド出身の黒人男性と
恋仲になりスワジランドに駆け落ちしてしまいます。
スワジランドでは彼の一家と幸せに暮らしていたのですが不法滞在で
逮捕されてしまいます。

迎えに来た両親に自分達と帰らないなら親子の縁を切ると迄いわれますが
妊娠していた彼女は黒人社会を選んでしまいます。

厳格な父親はそれ以来Sandraと会うことを拒みこの世を去ってしまいます。

母親とは父親に内緒で数回会い、また母親が死ぬ前にも老人ホームにいた
母親を探し出して会うことが出来たようです。

兄弟達も(兄と弟)両親の長年の悲しみ振りを見て来ているので許せないらしく
母親の死を知らせることもなく、現在も会おうとしないそうです。

肌の色が違っただけで一家を襲った不幸は計り知れません。

このストーリーは”Skin”というタイトルで映画化されています。
DSC04609.JPG
主演女優はHotel RwandaのSophie Okonedo、是非見てください。

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niki

アパルトヘイトを支持していた両親のもとに
そのように生まれたということは、数奇に見える一方で、
なにか必然の運命のような感じもしますね。

彼女にとっては、試練だったでしょうけれど・・・・。

映画、探してみてみます^^
ありがとうございます!
by niki (2012-04-28 08:59) 

s-navi

コメント戴いたのに見落としていました。すみません。
映画みつかりましたか?

私は子供時代を演じたElla Ramanguaneがよかったと
思っていますが。
by s-navi (2012-05-09 23:31) 

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